「できない自分」

最近、自分が「大人になった」と感じることがある。

「いきなり何を言ってるんだこいつは、、」とドン引かれてしまいそうだが

詳しい話は、置いといて まずは、僕の幼少期と学生時代の話をしてみよう。

 

思い返せば幼少期からちょっと、、、、いや、かなり変わった子だった。

身内の何回忌だったか覚えていないが、祖父母の家に親戚一同が集まって、お坊さんのお経を聞いてる時にお経に合わせて踊り出したらしい。

「床屋さんごっこ」といって、いとこ(女子)の前髪をとんでもない短さにぱっつんカットして怒られたこともあったそうだ。

今振り返ればなかなかの逸材だ。我ながら誇らしい。幼少期の自分に会ってみたい。

 

しかし、年を重ねるごとに徐々に自らの個性が「目の上のたんこぶ」になっていった。

「落ち着きがない」「友達ができない」など、周囲との差が浮き彫りになってきた小学生の時にADHD注意欠陥多動性障害)と診断された。今でこそ「発達障害」というものが世間に浸透しているが、小さな田舎町である僕の地元では当時全然知られていなかった。特に発達障害は目に見えるものでもないし、普通に会話もできる。

当時の周りの人からすると「この子は発達障害を持っています」といきなり説明されても、理解されないのも無理はなく、中には「病気のせいにするな、お前の育て方が悪かったんだ」と母を咎める人まで現れる始末だった。

その時の母の気持ちを想像するだけで、やるせ無い気持ちになる。

その上、承認欲求が強かった僕にとって「自分は普通じゃない」という現実を素直に受け入れる余裕なんてなかった。

息子が辛い思いをしない様に、必死に障害の特徴を理解させようとする母に対して、僕は母の助言を全力で拒否して「僕は一人前にできるはずだ」と抗っていた。

心の奥底で、もっと褒められたい。認められたい。そんなことばかり考えて自分勝手に行動した。

そのせいもあって、言うことを聞かない僕と母とは衝突ばかりだったのは言うまでもない。すっかり、母のことを「敵」と思ってしまっており、今でも素直に話せない癖が残ってる。

僕は困ったことがあってだれにも相談できない、母は息子を信用できなくなり「死」を意識するほどまでに、親子関係はボロボロだった。

 

そんな散々な学生時代を過ごし、ようやく色々と自分の中で理解できる様になってきたのは、社会人になってからだと思う。

もちろんADHDの特徴が消えるわけはなく、同じミスを何度も繰り返し自分自身に苛立つことはよくあったが、それでもどうにか働けていることが嬉しくて、新しい仕事を任された時には初めて一人前になれた気がした。

だけど自分にとって、社会人としての最低限の必要事項が多すぎた。

その上、その中の一つでもできないと笑われてしまう。

それが怖くてずっと毅然とした態度で「できる自分」を演じ、失敗ばかりだった。

 

そんな僕も24歳になり、色んな失敗を経験し、ようやく最近になって「できないことはできない」と気がつくことができた。

気づいたと言うより、できない自分を許せるようになったのかもしれない。

・お金の管理ができない。

・帰ってきてから弁当箱を洗うことができない。

・靴紐を結ぶことができない。(何故だかどれだけ強く結んでもすぐ解ける)

・会社で上司や先輩を立てることができない。

・八方美人に、世渡り上手にいきていくことができない。

自分のことを楽観的に見つめ直していくことで、どんな人間なのか、何が向いてて、何が向いていないのか徐々に見えてくる。

 

その結果、「僕は会社員には向いていない」ということに気がづいた。

「じゃあ、お前さんこの先どうすんだ?」と言いたいところだが

好奇心旺盛な僕は、とてもよく機転が利く。

 

「だったら、自分がやりたいことで稼ぐしかないじゃんか!!!!」

 

流石「普通」という物差しで測れない斬新な人間。落ち込みすらしない。

できる、できない。じゃなくて「やる」というボタンしか僕の中には存在しないのだ。

一瞬で、目標を設定してしまった。 

 

それは、、 僕が大好きな 紅茶のお店を開く ということ。

 

え?なになに?なんか聞こえるぞ?

 

「金の管理ができないやつがどうやって店を開くんじゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

まぁまぁまぁ、、落ち着け。そんなことは十分理解していますよ。

幸いなことに僕には、金銭管理がバリバリにできる倹約家の友人がいる。

おまけに性格も超慎重かつ超計画的。あと超暇人。ちゃっかり巻き込む算段だ。

言葉巧みにプランを説明して「一緒にやる」と言ってくれた。(言わせた?)

ラッキー。

 

もちろん貯蓄が必要なので、今の会社でまだまだ働くのだが、、

目的があっての仕事なら、やりたい事に対して一直線な性格なのでよく頑張れる。

 

学生の頃 不自由な世界で右も左もわからないまま我武者羅に抗っている時期を

思い返すとそれはそれでとても美しかったと思う。

 

まぁ、今でも理想と現実の間で抗っているのは全然変わっていないのだが、、笑

いつでも漠然とした目標と夢が目の前にあって、心のどこかで自分に何かを訴えかけてる。

そろそろ 夢や目標を遠い未来に設定できる時期じゃないのかもしれないな。

 

そんなことを考えている今日この頃。

 

進展があれば随時報告しますね。

よろしくおねがいします。