憧れ

最近、僕は「水曜どうでしょう」に猛烈にハマっている。

自分が生まれる前に放送されていた番組なのだが、これが非常に面白い。気がついたら何時間も見てしまう。

大泉洋鈴井貴之のルーズな絡みが絶妙で、頭の中を空っぽにしてラフに見ていられるのだ。

最近のテレビ番組では信じられない画角で撮影をするのだ。大泉洋が下からのどアップアングルのせいで、たらこ唇がくっついたひょうたんに見えてきて笑える。

カメラマンやディレクターが船酔いして、どうみても横になりながら撮影している画角になり演者が見切れるのシーンもある。

もちろん、旅の内容もかなり面白いのだが、レンタカーの内装、ジュースのパッケージ、新幹線の席に備え付けのモニターの大きさ(小さめの段ボール箱くらいの厚さだった)が今と違いすぎて、時代の流れを感じられる雰囲気が見ていてとても心地がいい。

 

現代は、北海道から東京まで新幹線が走っているし、完全自動運転ができる車が開発され、一家に一台パソコンがあって、小学生が当たり前の様に一人一台スマートフォンをもっている時代だ。

昔の人々は本当にこんな世界がくるなんて想像できなかっただろうな。

僕はなぜか昔から、今よりも不便だった一昔前の時代に憧れている。

 

中学生の頃に祖母の家の倉庫から出てきた漫画を、のめり込んで読んでいたことがある。

その時に読んでいた漫画が 窪之内英策さんの「ツルモク独身寮」シリーズ。

 

正味かなりマイナーな漫画だ。今まで知ってる人をみたことがない。

これまで色んな漫画を読んできたが、今だにツルモクほどのめり込める漫画に出会ったことがない。僕にとってはそのくらい大好きな漫画になっている。

ジャンルにすると、恐らく「恋愛マンガ」に分類されるのだとは思うのだがギャグ要素もあり、男同士の青春要素もあり非常に楽しく読むことができる。

高校卒業後、東京の家具工場に就職し独身寮に入寮した主人公が、仕事終わりに田舎に置いてきた彼女のと公衆電話や手紙で連絡を取り合っている。

不自由の中で恋人と繋がってる短い時間を楽しんでいる光景には、独特な温かさと言葉にできない美しさがある。

時間がある人はぜひ読んでみてほしい。

 

他にも、宗田理さんの「ぼくらの七日間戦争」シリーズも大好きだった。

こちらは結構有名な小説なのでタイトルだけでも聞いたことがる人も多いとは思うが、実はシリーズ作品で「ぼくらの最終戦争」まで全11作品もある(その先がもっとあるらしい。知らなかった、、汗)

中学生が夏休み前日に仲間たちと結託し、廃工場に立て篭もり七日間大人と戦争をする話。

戦争とは言っても本物の銃や爆弾ではなく、それぞれの仲間が各家庭から持ち寄ったものを使って、なんとも中学生らしい小癪な罠で敵を成敗していくのだ。

教育的には決して良い作品ではないだろうが、子供たちが作り出す世界を描くこのシリーズは、自分がやりたいことを肯定してくれる。そんな気がする作品。

これもぜひ読んでみてほしい。

 

これらの様に、僕のなかで色濃く残り続けている作品がたくさんある。

大好きなジブリ映画の「魔女の宅急便」「耳をすませば」もその中の一部だろう。

 

これらの全ての作品に共通している点は、物語の舞台が今よりも少し前の時代であること。

生まれてくる時代を間違えたのではないかと言いたくなるくらい、過去の時代に魅了され興味津々なのだ。

これらの作品のおかげで、今の僕がある気がする。

数十年後に美しいと思ってもらえる音楽がつくりたい。がんばろ。

 

あれ、これ何の話だっけ。

しまった。「水曜どうでしょう」よりも好きな本についての文章の方が長くなってしまった。

タイトルも予定から変更しなきゃいけないな。 

うーむ………「憧れ」にしよう。

本日も無計画さは健在。

 

またね。

 

 

「できない自分」

最近、自分が「大人になった」と感じることがある。

「いきなり何を言ってるんだこいつは、、」とドン引かれてしまいそうだが

詳しい話は、置いといて まずは、僕の幼少期と学生時代の話をしてみよう。

 

思い返せば幼少期からちょっと、、、、いや、かなり変わった子だった。

身内の何回忌だったか覚えていないが、祖父母の家に親戚一同が集まって、お坊さんのお経を聞いてる時にお経に合わせて踊り出したらしい。

「床屋さんごっこ」といって、いとこ(女子)の前髪をとんでもない短さにぱっつんカットして怒られたこともあったそうだ。

今振り返ればなかなかの逸材だ。我ながら誇らしい。幼少期の自分に会ってみたい。

 

しかし、年を重ねるごとに徐々に自らの個性が「目の上のたんこぶ」になっていった。

「落ち着きがない」「友達ができない」など、周囲との差が浮き彫りになってきた小学生の時にADHD注意欠陥多動性障害)と診断された。今でこそ「発達障害」というものが世間に浸透しているが、小さな田舎町である僕の地元では当時全然知られていなかった。特に発達障害は目に見えるものでもないし、普通に会話もできる。

当時の周りの人からすると「この子は発達障害を持っています」といきなり説明されても、理解されないのも無理はなく、中には「病気のせいにするな、お前の育て方が悪かったんだ」と母を咎める人まで現れる始末だった。

その時の母の気持ちを想像するだけで、やるせ無い気持ちになる。

その上、承認欲求が強かった僕にとって「自分は普通じゃない」という現実を素直に受け入れる余裕なんてなかった。

息子が辛い思いをしない様に、必死に障害の特徴を理解させようとする母に対して、僕は母の助言を全力で拒否して「僕は一人前にできるはずだ」と抗っていた。

心の奥底で、もっと褒められたい。認められたい。そんなことばかり考えて自分勝手に行動した。

そのせいもあって、言うことを聞かない僕と母とは衝突ばかりだったのは言うまでもない。すっかり、母のことを「敵」と思ってしまっており、今でも素直に話せない癖が残ってる。

僕は困ったことがあってだれにも相談できない、母は息子を信用できなくなり「死」を意識するほどまでに、親子関係はボロボロだった。

 

そんな散々な学生時代を過ごし、ようやく色々と自分の中で理解できる様になってきたのは、社会人になってからだと思う。

もちろんADHDの特徴が消えるわけはなく、同じミスを何度も繰り返し自分自身に苛立つことはよくあったが、それでもどうにか働けていることが嬉しくて、新しい仕事を任された時には初めて一人前になれた気がした。

だけど自分にとって、社会人としての最低限の必要事項が多すぎた。

その上、その中の一つでもできないと笑われてしまう。

それが怖くてずっと毅然とした態度で「できる自分」を演じ、失敗ばかりだった。

 

そんな僕も24歳になり、色んな失敗を経験し、ようやく最近になって「できないことはできない」と気がつくことができた。

気づいたと言うより、できない自分を許せるようになったのかもしれない。

・お金の管理ができない。

・帰ってきてから弁当箱を洗うことができない。

・靴紐を結ぶことができない。(何故だかどれだけ強く結んでもすぐ解ける)

・会社で上司や先輩を立てることができない。

・八方美人に、世渡り上手にいきていくことができない。

自分のことを楽観的に見つめ直していくことで、どんな人間なのか、何が向いてて、何が向いていないのか徐々に見えてくる。

 

その結果、「僕は会社員には向いていない」ということに気がづいた。

「じゃあ、お前さんこの先どうすんだ?」と言いたいところだが

好奇心旺盛な僕は、とてもよく機転が利く。

 

「だったら、自分がやりたいことで稼ぐしかないじゃんか!!!!」

 

流石「普通」という物差しで測れない斬新な人間。落ち込みすらしない。

できる、できない。じゃなくて「やる」というボタンしか僕の中には存在しないのだ。

一瞬で、目標を設定してしまった。 

 

それは、、 僕が大好きな 紅茶のお店を開く ということ。

 

え?なになに?なんか聞こえるぞ?

 

「金の管理ができないやつがどうやって店を開くんじゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

まぁまぁまぁ、、落ち着け。そんなことは十分理解していますよ。

幸いなことに僕には、金銭管理がバリバリにできる倹約家の友人がいる。

おまけに性格も超慎重かつ超計画的。あと超暇人。ちゃっかり巻き込む算段だ。

言葉巧みにプランを説明して「一緒にやる」と言ってくれた。(言わせた?)

ラッキー。

 

もちろん貯蓄が必要なので、今の会社でまだまだ働くのだが、、

目的があっての仕事なら、やりたい事に対して一直線な性格なのでよく頑張れる。

 

学生の頃 不自由な世界で右も左もわからないまま我武者羅に抗っている時期を

思い返すとそれはそれでとても美しかったと思う。

 

まぁ、今でも理想と現実の間で抗っているのは全然変わっていないのだが、、笑

いつでも漠然とした目標と夢が目の前にあって、心のどこかで自分に何かを訴えかけてる。

そろそろ 夢や目標を遠い未来に設定できる時期じゃないのかもしれないな。

 

そんなことを考えている今日この頃。

 

進展があれば随時報告しますね。

よろしくおねがいします。

 

 

はじめめして。

ふと日々頭の中で右往左往していることを、書き起こしてみると面白いのではないかと思いつき、行き当たりばったりで文章を書き起こしているのだが

どうしたものか。「最初の投稿をどう書き始めていいのか分からない」という初回から自分らしさ全開の絶好調な滑り出しだ。

大体いつもこうなのだ。思いついてアクションは早いが、なんせ詰めが甘い。

イデアは出るがいつも白紙の五線譜を前に何時間も唸っている。

とりあえず、愛してやまない大泉洋さんの「大泉エッセイ」を手に取り、初回の記事を読んでみた。ところが当時の大泉さんも全くおんなじ現象に陥っており最後の一文なんかは「情けないスタートだ。」なんて書いてあるもんで、結局何を得れたのかよく分からなかったが、、笑(とても参考になりました!!!)

「とりあえず、最初の投稿は挨拶」みたいなが流れっぽいのでその流れに従って自己紹介をしていこうと思う。

 

はじめまして。

知り合いからはたいちゃんと呼ばれています。

現在は会社員です。一人称は「僕」です。

音楽を作ってます。絶賛勉強中。日々精進。

好きなジャンルはPopsとJazz  ミュージシャンは幅広く聴きます。

猫と紅茶が大好きです。

自由奔放で好奇心旺盛な性格です。可愛がってください。

 

こんなもんでどうだろうか。

なんだか初回から気の抜けた文章で面目ないのだがこれが僕なんだから仕方がない。

本当は早速書きたいことがあったのだが、一旦ここで区切ろうか。

 

まったく、、、、情けないスタートだ。